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2007年9月30日 (日)

建設業界からの脱出 #5 「国民体育大会(続編)」

前回の国民体育大会(以下、国体と表記)の続編を書きたいと思います。

なお、国体は独立・起業した私にとっては希望の一端を叶えてくれた場でもあったので「建設業界から脱出」シリーズの5回目として紹介させていただきます。

”道産材の賞状”発行に悩む大会関係者から白羽の矢が立ち、ハドソンを筆頭に道内IT企業有志による「はまなす国体賞状印刷プロジェクトチーム」が結成されました。

史上初、国体において「IT活用による賞状印刷」が実現する事となりました。しかもこれは無償のボランティア活動です。

いわゆるIT企業の地域貢献です。

今までの問題がこれで一気に解決かと思いきや、最後に重大な問題が立ちはだかりました。

   

その重大な問題とは賞状サイズにありました。


当時(今も)、主流のレーザープリンタの最大用紙サイズA3です。


そこで賞状サイズA3サイズとを比較してみます。

●国体賞状サイズ
横320mm  縦440mm

●A3サイズ
横297mm  縦420mm

縦のサイズは何とかなるのですが、横のサイズが問題です。つまり標準仕様のままでは用紙がプリンタ内で紙詰まりを起こしてしまうのです。


ここでソフトの修正開発だけでは済まない重大な問題に直面です。印字面はA3用紙内に収まる位置なので何とかこの賞状サイズをプリンタに通したいのです。

そこで、あるプリンタメーカーさんが協力してくれる事となりました。
その会社は北海道リコー株式会社です。

通常動作保障されていないA3サイズを超える賞状サイズを通紙できるよう改造していただいたのです。


今回結成された「はまなす国体賞状印刷プロジェクトチーム」に北海道リコーにも加わって頂き最強のチーム結成となりました。
さらに、プリンタを特殊改造したため当日の不慮のトラブル対策のため、プリンタのメンテナンス技術者を全国のリコーグループから応援派遣まで手配いただきました。



大会開催2週間前になんとかソフト、ハードの両システムが完成しました。

その模様がNHKローカルニュースで紹介されました。

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アナウンサーの方が持っているのが道産材を使用して作製されたはまなす国体の賞状です。


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北海道リコー株式会社に協力いただき通紙幅を改造していただいたレーザープリンタです。内部改造のため見た目は市販品と同じです。


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高速にかつスムーズに印刷されました。


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会場の報道関係者に賞状を示すプロジェクトチームの女性スタッフです。


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使用機種はNEC-PC9800シリーズです。何とモニターはモノクロでした。


札幌市内の国体会場は確か7ヵ所程で、一番競技種目の多い陸上競技が行われた厚別陸上競技場には複数台のシステムを配置したのです。


ちなみに私が主として担当したのは下記種目及び会場です。

●ライフル射撃   宮の沢屋内競技場

●バスケットボール 真駒内屋内競技場


1会場(1システム)あたり総括システムオペレーター機器保守3名のスタッフによるチーム構成で実施されました。

我がチームは、私とオペレーターの女性と、神奈川県から来ていただいたリコーのメンテナンス技術者の3名でした。



毎朝会場に着くと、パソコンプリンタ動作確認を実施しました。そして競技参加者の名簿を確認します。事前にパソコン内に入力してあったのですが、当日の変動があることがあるのでそのチェックです。

このチェックが終了すれば後は競技の終了を待つのみです。
競技中は特にする事がありませんので、会場をぐる~っと巡回していました。

やがて競技が終了し、大会役員の方が入賞者のリストを持って来られます。

すでに競技者の名前や競技名・種目が入力されているので、順位の数字を打ち込むだけです。
順位入力後印刷指示をすると、レーザープリンタから綺麗な毛筆体で印刷された賞状が出力されました。もちろん乾燥の必要もありませんで、すぐ大会役員の方へお渡しし、そのまま表彰会場へとなります。


紙サイズ対応改造による大きなプリンタトラブルも発生しませんでした。


先ずは大成功と言って良かったと思います。



そんな我々3人のチームスタッフ名を記した賞状を作成してしまいました。

10_320allm


賞状も箱も入賞者に授与した本物です。

記載されている種目は見ての通り実際の競技のものではありません。大会関係者には申し訳ありませんが賞状作成ボランティア活動の特権としてお許し下さい。

今では私の貴重な思い出の品として大切に保存しています。



大会後半のある朝、いつものように動作確認をしていると数名の人がパソコンの周りを取り囲み始めました。

何事かと思えば、それは福岡市の職員の方でした。国体は翌年福岡県(とびうめ国体)で開催予定でした。翌年の開催県はその年の開催会場を視察することが慣例になっていたようです。

福岡市の職員の方は、実際の賞状印刷状況を視察され高速で印刷される状況に感心されていました。


そしてその後翌年の国体会場のうち、福岡市内開催分でこのシステムの採用が決まり、私も約2週間福岡を訪ねる事となったのです。



こうした社会に貢献できるプロジェクトを私は独立前から夢見ていました。


この北海道福岡の両国体はボランティアであったためここでの収入があった訳ではありませんが、その後この実績が当社に対する対外的評価を大いに高め、当社システム開発が大きく飛躍することをこの時全く予想していませんでした。

福岡国体では北海道チーム及び現地福岡チームと合同で対応し、成功に終わりました。


最後の夜、両チーム合同の打ち上げが福岡親不孝通りの居酒屋で盛大に実施されました。北海道勢がメニューの鳥の唐揚げを見て ”ざんぎ” 下さいと一言。当時まだこの”ざんぎ”という言葉は全国的にはメジャーではなく、福岡の店員さんは???でした。

今でもあの夜の事ははっきりと覚えています。実に楽しい福岡の夜でした。〆はもちろん屋台のとんこつラーメン

「博多はよかたい」

またいつか行ってみたいです。



この国体体験により、多くの方との出会いそして地域文化交流もし、その後の私のビジネスに大きな勇気を与えてくれました。

それまでは、もう事業をやめてサラリーマンへ戻ろうかと弱気になっていた私のもやもやは完全に払拭されたのです。

人生、人との出会いにより自信や勇気が湧いてくるものです。


独立・企業は決して楽なものではありませんが、決して苦しいばかりでもありません。

努力と知恵の創意により灯りがきっと見えてくるに違いありません。

その後基本となった、のし紙印刷システムはWindows時代に突入後東京に本社がある一部上場のIT関連企業の目にとまり、全国チェーンのスーパー全店に導入されたのです。

誰の言葉か忘れましたが私がいつも大切にしている言葉があります。

ビジネスチャンスはいつもあなたの周りを通り過ぎています。しかしそれに気付く人気付かない人とが存在します。仮に気付いても、それを摘もうと努力する人無視してやり過ごす人がいます。それは経営者として成功する人しない人との大きなになってあらわれるのです」

実に重い言葉です。私は全くその通りであると信じ、いつもその心掛けを持ち続けています。

【福岡訪問余話】
福岡国体には札幌からハドソンの蜂マーク(BeeMark)が入ったワゴン車で行きました。小樽港から舞鶴港へ30時間の船旅です。舞鶴港到着後は福知山へ移動し一泊。その後高速道路をひた走り、広島県宮島に立寄り、関門橋を渡り福岡へ。国体終了後はハドソンの担当者が急用のため、私が福岡から札幌まで一人で、行きとは逆の経路で舞鶴港から小樽港へ戻りました。本州をハドソンマーク入ワゴン車で走っていると、多くのゲームファンの少年から声を掛けられとても困惑した事を思い出しました。いずれにせよ私にとっては後世に残る良き思い出となりました。

それでは。

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コメント

う~ん、起業家の話を聞かせてもらいました。

成功のカギを少し見せていただいた気がします。
ビジネスチャンスとはタイミングが大切と思います。自分の実力と世の中の波を上手に捕らえれるようにいつでも見張っていなければなりませんね(笑)

投稿: もぐら | 2007年9月30日 (日) 22時14分

■もぐらさん
独立してからの5年間は結構しんどい毎日でした。

自分自身は気付いていませんでしたが、独立後しばらくはサラリーマン体質が抜けきらず仕事に対する姿勢はやっぱり受身だった気がします。

積極的な行動ができるまでに少々時間を要してしまいました。
そのスタンスがチャンスを素通りさせない秘訣かもしれません。

投稿: 北海太郎 | 2007年10月 1日 (月) 00時22分

御無沙汰しております。お元気ですか。
宮島は大変綺麗でしたね。
あの福岡までの道のり、そして福岡の灼熱な会場。懐かしいですね。

投稿: s | 2016年11月28日 (月) 15時05分

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