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2008年5月 7日 (水)

建ブロの日【ビジネスで考える建設業】

本日は毎月恒例の建ブロの日です。

本日のテーマは【ビジネスで考える建設業】です。
大変難しいテーマですね。(笑)


私なりの視点で今回のテーマに関して書いてみたいと思います。


今から30年前、私は北海道の地方大学土木関連学科を卒業し、札幌に本社がある道路舗装会社に就職しました。

そもそも大学で土木関連に進んだ理由は就職先を北海道内に限定していた私としては、土木関連であれば就職に困る事はないだろうと安易に考えていたからです。

当時、建設業には活況がありました。
仕事がないなどという事は考えられませんでした。

仕事はきつく勤務時間も長くそして休日も少ないのに、今考えると良く頑張っていたと思います。

そのエネルギー源は給与であり賞与であったと思います。
同期就職組の中ではかなり高収入だったと思います。

私が就職した翌年、NECからパーソナルコンピュータPC8001が販売となりました。
当時、建設業にも必ずIT時代がやってくることを確信し購入した私です。

価格は本体のみで168,000円です。

今から29年前の話ですから、かなり高額な商品でした。

01_1

















当時このようにパソコンを操作していると必ず上司から

「おまえ、何遊んでるんだ!」

と言われたものです。

仕事のヤル気は上司によって大きく変わるものです。
結局この会社は3年で辞めてしまいました。


その後札幌にある土木設計コンサルタント会社に就職しました。

実は道路舗装会社を辞めた最大の理由は「自分の時間が全くとれない」からです。


土木設計コンサルタントでは道路舗装会時代よりは時間がとれるようになりましたが、それでも満足のいくものではありませんでした。

ただ土木設計コンサルタント会社に勤務したことは私にとって2つの事が大変勉強になりました。

1.純民間の大型プロジェクトに関する仕事ができた点。

2.施工側とは違い、設計者の立場で土木というものを見る事ができた点。
(※全てではありませんが、設計者側に現場実務を知らずに設計している者が多いと気が付きました(笑))




さて、今回のテーマである【ビジネスで考える建設業】についてですが、この場合は、仕事の依頼先(発注元)をに分けて考えなくてはなりません。



が依頼先の場合は当然その支払いに税金が使われます。

発注元に不渡りや倒産がありませんので、多くの建設業は官発注の公共事業受注に鎬を削ります。

しかし私が現場技術者として従事していた頃は、それほど鎬を削る事も少なかったと思います。
それは潤沢に仕事があったからだと思います。

というよりも安定して分配?されていた感がします。

それは施工能力に関係なく仕事を受注できていた会社が多かったように思います。



の場合はどうでしょうか?

官と違い分配等という概念は最初からありません。
昔も今も大変な競争原理の中受注合戦が繰り広げられています。

民間工事の場合、受注に至る判断材料には技術力財力信用力国際力縁故相互利益等・・・多くの要素が絡まってきます。


と大きく違うのは、縁故相互利益という要素の存在ではないでしょうか。

国際力に関しては北海道に住んでいるとほとんど意識されない要素かも知れません。


縁故とは文字通り、人間関係で仕事をいただくというものです。
企業の資本系列(銀行系含む)、経営者間の縁戚関係、地域特性などがあります。


そして相互利益です。

これは
「この仕事をこの会社に発注すると当社にメリットがある」
という場合です。

官単独発注の場合、従来この方式を採用することは難しいとされてきましたが、昨今PFIという方式で実現されています。


建設業という業種(仕事)、特に土木分野をビジネスの観点から考えると、北海道では官発注の公共事業受注を主たる顧客として創業された方がほとんどかと思います。

仕事が潤沢にあった時代は発注される仕事量と施工する業者数のバランスがある意味均衡がとれていたので、多くの問題が外へ露呈する事は少なかったように思います。


しかし、資本主義経済下では需要供給市場原理によりその業を営む者の数は自然淘汰される事になります。

この原理でいけば建設業も時代の供給量(発注額)に応じた数に自然淘汰されるのが原理原則かも知れません。

しかしそうならない・・そうなっていないのが建設業なのです。
それは、それら競争原理が働かない世界で営まれてきた歴史を有するからに他なりません。

私は経済の専門家でないので、その詳細はその方面の方に委ねたいと思います。




私の生家は米農家でした。(今は離農しています)

農業も国の政治的施策に長年守られて来た産業です。

しかし戦前(1942年)より続いていた食糧管理法(いわゆる食管法)が1995年廃止され、以前農家は生産の全量を国に買い上げてもらう事が原則でしたが、これにより農家が自由に米を販売できるようになりました。

また2004年には食管法がさらに改正(新食糧法制定)され、農業従事者に限らず誰でも自由に米を販売したり流通させることが出来るようになりました。

その結果何が起きたのでしょうか?


離農する従事者が多くなった事も事実ですが、反面その功罪も生まれました。

生き残るため、農家は美味しい米を市場に送り出す努力が必要になりました。

そうしなければ生産したお米を買ってもらえない事になるからです。

そして美味しいお米でなければ高い価格で買ってもらえません。

まさに市場原理に則した流れに大きく変遷したのです。

この事がなければ現在の北海道米がこれほど美味しく改善されたかはいささか疑問です。




何やら話が横道にそれましたが建設業も現状の市場規模に見合った数に自然淘汰されるべきだと私は考えます。

大変厳しい考えかもしれませんが、税金が使われている以上それは仕方ない事だと私は思います。

公共事業は国民生活に必要不可欠なものです。

適正な予算、品質、工期の中、安全かつ環境に配慮し施工していただける必要最低限の業者数が残っていただければ、それはそれで良いのではないでしょうか。

ただここで問題となるのは、災害発生時の緊急対策です。
これには地場の企業が大変頼りになります。
この点をどのように考慮するかが問題となります。



公共事業を元請けとして受注できない企業はその営業先を民間、もしくは官庁下請けにその目を向けていただくことになります。


私は現在建設業に外から関わる仕事に従事しています。

商売の観点からすると多くの建設業者が存在する方が得策のように思えますが、しかし冷静に考えれば、受注される建設業が厳しい環境におかれているということは、そこからいただける我々の仕事はさらに厳しいという事になります。

正当な利益・利潤で仕事ができるようになるためにも、建設業の淘汰は必須であると思います。

建設業の中でも建築の世界は少し土木と感覚が違っていたように思います。

建築部門を有している会社はその感覚を早くから身につけ、さらなる自助努力を図ってきたように思います。

土木専門会社よりも建築部門を有している会社の感覚が斬新に思えるのはきっとその事が理由なのでしょう。


22年前に建設技術者からコンピュータ関連の情報サービス産業に転身した私からすると、建設業はまだまだ旧態依然の業種に見えてなりません。

自ら活路を開く事のできない会社が多い事もそれを物語っているように思えます。


でも、産みの苦しみがあってこそ、そこに深い愛情と思い入れが出て来るのではないでしょうか。

北海道に住む私はいつもそう感じているのです。

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